2017年7月7日金曜日

もしかしたら、猫がくれた人生



このブログのどこかにも書いたかもしれませんが、私は自分の本業(作品制作)のサイト以外に、猫の闘病ブログもやっています。

本業のサイト&ブログは放置しっぱなしでまずいなーとは思うのだけど、どうも作品作って満足しちゃうタイプのようなんですよねぇ。
作品ができたあとは、展示の報告とかもついついおろそかに。
(ていうか、宣伝も手をぬきすぎだが。)

で、猫ブログ

猫と制作どっちとるかと聞かれたら、下手すると最終的には猫とっちゃいそうで、我ながら危機感を感じます。
本当は制作が本業とか言ってるくせに、それってどうよ。
プロにあるまじき…というか、この業界のプロって定義が難しいよね。基本稼げないし。

でももし個展の展示期間中に、猫が危篤になったとしたら、どうだろう…。

何かのチャンスがあって、ものすごく勝負かけてる展示だったら、猫より展示とっちゃうのかもな。

それほど重要度が高くない展示だったら、猫をとるかもしれない………。


むかーしむかし

私がまだ美術予備校に通っていたとき。
当時の猫が、いつ亡くなってもおかしくない容態になりました。
私はまだ高校生で、3年の夏期講習中で。

でもそれって、現役予備校生にとってはかなり、それこそ勝負かけてる時期なのですよね。
現役でどこかに受かれるかどうかって、じつは夏の成長にかかってる。

当時私は油絵科を受験するつもりで、その日は着衣の人物画だった。
1日でF15号を仕上げるという課題。

制作時間中、とつぜん講師が私を呼びそのまま教官室へ。
私が当時、自分の命よりも大切だと思っていた猫が息をひきとったという、家からの電話だった。

涙がとまらなかった。


今すぐにでも帰りたい

でもこのまま帰るとこの絵は未完成になる。

実は私はそれまでずっとデッサンが下手で、特に人物はいつもプロポーションが狂ってばかり。
でもこのときは何か、いつもとちがう感じがしてこのまま未完成で帰ってはいけない気がしたのを覚えてる。

すごくすごく悩んで、迷ったけど、私は帰らない選択をした。

なんとか絵を描き終えて、帰る途中の駅のホーム。
あのときの灰色の風景と気持ちは、たぶん一生忘れないだろう。

その一件以来、私の中では、なにかの覚悟が固まった。


そしてその絵は

私にとっては初めて、先生にほめてもらえた人物画になりました。
デッサンはまだまだおかしいけど、表情が人をひきつける、と。

そのあと私はなぜか、自分でもいくらか実感できるくらい人物画が上達していったように思います。
(人物画だけですけど。静物とかは相変わらず苦手。)
で、秋の人物画コンクールではめでたく1位をもらうことができたのでした。

当時の予備校には超絶技巧の多浪生が大勢いました。
ぺーぺーの現役で、ついこの前までへたっぴだといわれていた私が、コンクールで1位がとれるなんて私もまわりもたぶん全く予想してなかった。


そのあと、いろんな幸運がいくつもかさなって

私はそのままストレートで美大に入ることができました。

もちろん第一志望の芸大には受かれなかったのだけど、いわゆる五美大といわれるところに、現役で入れたのはかなりラッキーです。

現役ゆえの技術力不足がずっとコンプレックスで、バカにされたり、思うように作れなくて悔し泣きしたこともあったけれど。
なんだかんだと美術作家のはしくれとしてずっと続けてきてみると、そんなのはとるにたらないことだったのかもな、という気もします。

多浪して芸大に入った、超絶技巧の先輩たちのほとんどは制作をやめてしまった。
ほそぼそと続けてこれたというのもまた、ラッキー以外のなにものでもない。


こうやって考えると、あのときの猫は自らの存在で、私の人生の後押しをしてくれたのかもしれません。



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